005_人はなぜ遊ぶのか / その3_遊ぶ為の乗り物

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どうにかして遊びたい人たち

自転車の面白い遊び方が90年代のブルックリンにあった。

BIKE KILL 2016

BIKE KILL 2004

この、” BIKE KILL” とは1990年代後半〜2000年代初頭のブルックリンを中心に行われたアンダーグラウンドイベント。自作の変態カスタム自転車(freak bikes)に乗り、 ぶつかり合う・壊す・競う・遊ぶ という、暴力的でありつつユーモラスな 「DIY自転車の祭典」。

■ Tall Bike Jousting(長い自転車の騎馬戦)
2m級の“タルバイク”(2台の自転車を溶接して積み上げたもの)に乗り、 お互いにポールで突き合って落とし合う。

■ Bike Destruction(自転車破壊)
使い古した自転車を、楽しみながら破壊する儀式的パフォーマンス。

■ Freak Bike Parade
DIYで作った“奇妙な自転車”のデモ走行。

■ Slime & Paint ゲーム
ぬるぬるのスライムやペンキを浴びながら走るカオス系競技。

これらが代表的な競技。
...競技?
これは何なのかという決まりごとが大事なのではなく、ただ楽しくて刺激的な瞬間がどのように作れるかを追い求めているように見える。
車輪がついていて自分で動かすことができる道具。それを駆使して最大限に楽しみたい、身体を使い切りたい。
その「もしかしたら...!」や「もっと!!!」という好奇心が遊戯的創造の始まりなのではないか。
安価なスクラップ自転車を溶接して「唯一無二」の乗り物を作り、接触し合うという行為が PUNK , DIY , ART , KUSTOM KULTUREの精神として交錯する。誰か知らない人が決めた規範の中で生きるのではなく、自分のルールは自分で決める、という在り方をこの映像から伝わってくる気がした。

複数の現実を持つ

この” BIKE KILL”もホイジンガのいう「遊戯」のひとつである。

「遊び」は単なる「娯楽」や「子どもの遊び」を指しているのではなく、自由な行為であり、通常の生活とは別の領域で、時間的・空間的な制約を持ちながら、一定のルールに従って、緊張と喜びを伴う、目的そのものが遊びである行為である。これは意識的に作らないといけないのではなく、真剣に遊ぶと必然的にこうなるのだ。現実と区切られた特別な領域を「遊びの魔法円(magic circle)」と呼び、ここでは現実のルールが停止し、新しい秩序が支配することが特徴。すなわち、「新しい世界を一時的に創る」という事自体が遊戯であるのだ。

遊戯は現実逃避ではなく、現実と別の秩序を作る創造的行為ということ。その考え方は、どのようにして日常の私たちの中に落とし込めるのか。

すぐ思いつくのは、遊びと思えない時間に対しての事柄。「生活や仕事」も「人間関係やお金」も冷静になるとやらないといけないことだらけだ。それは何かの理由でうまくいかない時、生きることの負荷になってしまう。でも避けては通れない。せっかくなら、真面目に楽しむことを能動的に行うのだ。「もしかしたら...!」や「もっと!!!」を増やすのだ。野心に燃える青春も、失うものが多い人生の後半戦も、全てを遊戯に変えてしまえばいい。

BIKE KILLを教えてくれたcircles / BIKE LANDのモンジャさんありがとうございました。

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