001_人はなぜ遊ぶのか_その1
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KANの”JOURNAL”を始めたいと思います!
ジャーナルとは、定期刊行物の意。
KANは美味しいサワーを売るだけでなく、缶飲料の可能性を探り実行したい。という、
ブランド内で繰り広げる千思万考の様を共有するので、日常の肴にしてください。
KANは、いつでも、どこでも、だれとでも嗜めるのが特徴。
あなたにとっての楽しい時間にKANがあってほしい。KANがあることによって楽しい時間が生まれてほしい、そんな願いがある。
ならば、そもそも「楽しい」とはどういう状況のことか知る必要があるため、
楽しい=遊びだろう!という安直な設定のもと
はじめに取り組むテーマは「なぜ、私たちは遊ぶのか?」
言葉としても体験としてもなんとなくでしか理解できていない「遊び」。
ヨハン・ホイジンガ著の「ホモ・ルーデンス」を読み進めることにした。
『ホモ・ルーデンス(Homo Ludens)』は、1938年に出版された文化論の古典で、「人間は遊ぶ存在である(Homo = 人間、Ludens = 遊ぶ)」という考えを中心に展開した著書。
それ以前の人間の分類は以下。
1758年「ホモ・サピエンス (Homo sapiens) / 思考する人 (理性的動物) 」と唱えたカール・リンネ (スウェーデン)
1907年「ホモ・ファーベル (Homo faber) / 工作する人 (技術的動物) 」と唱えたアンリ=ルイ・ベルクソン (フランス)
そして
1938年「Homo ludens / 遊ぶ人(遊戯的動物)」と唱えたヨハン・ホイジンガ (オランダ)
理性や技術よりも先んじて、人は本能的に「遊ぶ存在である」という論述。
遊ぶと楽しいのは、人であることを味わっているからだ、とも言える。
そしてその「遊び」とは、単なる娯楽や暇つぶしのことではない。
スポーツはもちろん、芸術、ビジネス、政治、テクノロジー、現代社会のあらゆる領域に「遊びの精神」が息づいています。
私たちは遊んでいることに気付かずに、遊んでいるのです。
そしてその遊びの楽しさの中にKANがあってほしい!
それがどういうことか、何回かに分けて「ホモ・ルーデンス」を解釈していきたいと思います。